2015年2月11日水曜日

医学部と工学部は仲が悪い?


 
1.       医学と工学、 決定論と確率論

 医学部と、工学部は、そもそも仲が悪いものです
臨床現場における医学的な考え方と、システムを組み上げる工学的な考え方は全く異なります
困ったことに、臨床工学の先生方は、その現場に立ち会うことになります

どの大学においても、医学部と工学部は、だいたい、仲が悪いのが通り相場で、道路一本隔てているだけなのに、「道の向こうはアメリカより遠い」と、公言している旧帝国大学もありました。
冗談ではなく、そこで作った人工心臓は、本当にアメリカで実験を行っていたりしました

そもそも、話をしようとしても、実は、全く、話がかみ合いません
言葉も、ぜんぜん通じない感じすらします
私も、何度も、ひどい目に合いました
なんで、こんなに仲が悪くなるのでしょうか?
 
お互い性格が悪い?
あいつら権威主義だ?
なかなか否定しにくいところもあって、工学部には土木や建築のように、国策に直結しているところもあるので、医学部から見れば、封建的な権威の象徴としか見えませんし、工学部から医学部を言わせれば「あいつら白い巨塔だ」ということになります

ですが
実は、ここには、
科学における2つの、大きな流れが隠されているのかもしれません
一つには、決定論的なもののみかた、もう一つには、確率論的な考え方です

2.決定論と確率論、演繹と帰納

「演繹」と「帰納」の考え方の違いの問題にも行き着きます
1+1は2です
2+2は4です
たぶん、4+4は8でしょう。

「+」を、隠してみます
1□1=2
2□2=4
だから□の中身は? たぶん、+だろうなあ?、と、想像できます
で、あれば、
4□4は・・・・おそらく8になるだろうなあ?
と、予測ができます

Fig.1 y=2x

いま、あなたの頭の中には、
演繹的な考え方と、帰納的な考えが存在しています
1□1=2
2□2=4
と、見た瞬間、1と1で2になり、2と2で4になるんだから・・・
と、あなたの頭は「帰納」的に働いています

じゃあ、□の中身は、+の可能性が高い。
と、確率を考えるところから、省みて、帰納的に判断できます

1+1は2で
2+2は4ですから、
演繹的にy=2xで、推定すれば、
 たぶん、4+4は8でしょう。
と、決定論的に予測ができます

 簡単なグラフでも、絵に書いてみるとよくわかったりします
 図は y=x+x つまり、y=2xのグラフですから、数字を代入していけば、答えが出るわけです
 数学でも物理でも、その大元の理論がわかれば、モデルを立てて答えを予測することができるわけです

Fig 2    y = x2

 逆に、現象が発生した時に、その挙動・ふるまい方。を、観測すると、その陰に隠れた原理がわかります

ナポレオンは、フランス革命の混乱の中の、トゥーロン攻囲戦の砲兵将校として名を上げました
城壁を、大砲で砲撃したわけです
砲身の方向と、角度によって、到達位置が変化します。
これは放物線として有名な、二次関数に従う曲線を描くわけですね
つまり、数理に基づいた工兵としての知識を生かして、ナポレオンはヨーロッパを征服したわけです
数理的な考え方を、工学部でちゃんと勉強することで、世界を征服できるかもしれません

帰納的に考えるのは医学部
演繹的に考えるのは工学部とも言えそうです
 
工学部ではゼロから物を作り上げていくことが出来ます
1+1=2です
地面に柱をたてれば建築物が出来ます
屋根をつければ何もなかった地面に建築ができ始まったことになります
雨が降り、風が吹けば建物に力学的な外力が加わります
力の変化は加速度で計算でき、建物を維持出来る応力も計算できるので、応力に耐えうる構造を計算し、風雨に耐えうる頑丈な建物が建築できます

熊さん、八っつあんが、活躍していた江戸の下町に、
ゼロから、スカイツリーを作り上げることもできるのです
 
粗忽ものの、隣の熊さんが、ドブに転げ落ちて、ケガしました
膝からだらだら血が流れています。
痛そうです
そこで、横町のご隠居さんは、秘伝の富山の置き薬を塗ってあげたら、ピタッと血が止まり、事なきを得たのでした

次に、長屋の向かい隣りの、八っつあんが、大工仕事のついでに、ザックリと親指を、切り裂いてしまいました
またまた横町のご隠居さんの元に担ぎ込まれます
前回の、熊さんの治療効果から、帰納的に考えれば、
たぶん、八っつあんにも、富山の秘伝の置き薬は聞きそうな気がします

医学部では、過去の知見から、患者に効きそうな診断、治療を帰納的に、確率論的に推定します

一から理論を演繹的に組み立てる工学部と、
結果から確率論的帰納的に推定を行う医学部が、仲がいいはずがなのです

ですが
喧嘩を止めて
お互いを、よくよく観測すれば、
面白い「コト」がわかり、良い「モノ」ができます

真理が解明され、新しい発明が起こってくるわけです

3. 数学の位置づけ

これに対して、医学部では、全国80大学医学部で、専門教育プログラムに、数学の科目があるところは、ほとんどありません
(教養部がある大学では、一般教養カリキュラムの中にはあります)

工学部では数学が必須で
医学部には数学がないのです
医学部を理系の中に入れるのには、大きな疑問があります
ですから、工学部の基本は、数学から力学、工学に至る美しい体系で、医学部は単なる博物学ということになってしまいます。

博物学という学問は、学問といえるかどうか微妙な位置にありますが、自然に存在するものについて研究する学問。広義には自然科学のすべてが含有されるともいわれます。博識な知識で、珍しい物品を並べる貴族趣味で、万物を愛でる感覚があります

エジプトの珍しい壺や、トロイの木馬の古跡を並べ、その脇には、世にも珍しい日本列島の原住民の土人が、檻に入れられて陳列されたりもするわけです
ロシアの女帝の前に供覧され、並べられた日本の漂流民は、要するに、インドの象と同じような、珍品として、標本のように並べられていたわけです。
大黒屋光太夫を女帝エカチェリーナに逢わせたのは、博物学者のラックスマンでした。日本人は、博物学の対象となる「珍品」だったわけですね

珍しいものを並べて自慢するのは、貴族趣味ですが、そんなものは趣味の世界で、ある意味では、学問じゃありません
病名を並べて、教科書の中に陳列して自慢?、するのは、博物学ですが、学問体系とは程遠いといえるかもしれません
風邪には風邪薬、 頭痛には頭痛薬、 狭い冠動脈は広げろ! 癌は取れ! では、物事を一対一対応で、単純化して並べているだけで、博物学にはなっても、学問には、なりません
(思い切り単純化して書いています)

1+1は2となり、 E=mc2、となり、数学は物理、工学となり、力学計算は、ロケットを飛ばし、原爆は爆発します
博物学で珍品を並べても、珍しいだけで、そこには何も生まれません
医学だけではダメなんです
何も作ることができません。
病名を、博物学的に並べて喜んでいても、患者さんを治すことはできません

東北大学には、日本でただ一つの、「大学院医工学研究科」があります

全国で、宮城県だけは、医学部と工学部のマリアージが成功していることになります
その発足までにはいろいろなことがありましたが
そのおかげで、
臨床工学の皆様方の現場の知識が、宮城県でだけは、工学的学問体系に直結させることができることになります

と、言うわけで、
医工学研究科が発足しての、第1号の社会人「医工学」博士、として、つまり、日本で最初の社会人医工学博士として、鈴木一郎博士に学位が授与されています
鈴木一郎博士の医工学博士論文は、まさしく、人工弁の力学、速度加速度、応力関連を工学的に解き明かしたものです

4つの弁膜のうち、特に右心系では、低い圧力系で弁膜が動作しなくてはなりません
流れと圧力を単純化して考えれば、弁膜の重さ、mに対して、心室内との圧力格差 Fがかかり、運動の法則で、挙動を考察することができます
ニュートンの運動の法則では、第1法則で、質点は、力が作用しない限り、静止または等速直線運動するとされ、第2法則で、質点の加速度は、質点に作用する力に比例し、質点の質量 mに反比例するとされ、第3法則では、二つの質点 1, 2 の間に相互に力が働くとき、質点 2 から質点 1 に作用する力と、質点 1 から質点 2 に作用する力は、大きさが等しく、逆向きであるされます。
あなたの心臓の弁膜も、患者さんの人工弁も同じニュートンの運動法則で動いているのです


Fig.3  弁膜の運動力学応答


また、弁膜は三尖の弁として三つの方向に開放するので、その弁膜の基部は回転方向に動きます。
開放にかかわる弁膜の傾き確度と、開放面積は、単純な sinecosine で計算できることになります
cosの基部が、弁口における、未だ閉鎖されている部分の距離となり、距離がわかれば、弁口を円形に近似すれば、面積が求められ、その瞬間における開放面積が計算できることになります
もちろん、人間の弁膜では、直線ではない方向に丸く開きますから、このままでは計算しても、近似値の計算に過ぎないことになりますが、機械弁の二尖弁では、水平から垂直へまっすぐに開放する種類もありますので、その場合には、開放角度と、弁口面積の半径から、完全に開放面積を計算できることになります
また、機械弁の場合には、もちろん、金属の塊である弁の重さも無視できません

なぜ、こんな、めんどくさい計算が必要なのでしょう?
それは、
結局、この力学が、あなたの心臓に、まっすぐに負担になっているからです

高血圧の患者さんは左室肥大をきたします
心室にとっての後負荷は、まっすぐ心臓の負担となり、心筋は負荷が大きいと、肥大して力を大きくし、対応しようとします
その結果、心臓のスティッフネスは増大し、拡張不全をきたし、リモデリングから、将来的には、心不全を起こすかもしれません。

右心系の肺循環では、左心ほど大きな負担にはなっていませんが、例えば、先天性疾患の肺循環の手術においては、長い時間の負担に、右心室、右心房の構成筋肉が晒されることになります。
例えば、右心系の三尖弁、肺動脈弁が人工弁になれば、赤ちゃんの時から、老人に至るまでの、長い、長い時間、この人工弁の力学応答が、1秒に一回ずつ、心臓の負担になっていくわけです

ところが、
長く生きた先天性奇形手術後の赤ちゃんに、何が起きるのか、全く分かっていません。
なぜならば、
先天性心奇形の手術が始まって、安定した成績を収めるようになってから、まだ、日時が浅いからです

私の医学部の同級生には、東北大学胸部外科の初代教授、堀内先生の、最初の心臓手術シリーズにおいて手術を受けた赤ちゃんがいました。
(昭和60年卒)
この手術症例集は、東北地方における、最初の先天奇形手術の成功例の症例集と言われています
つまり、仙台で、一番年を取った、先天性手術後の赤ちゃんは、せいぜい私の歳にしかなっていません

まだ、老衰を計算し、長期予後を計算できるような年齢には、達していないのです
この世に、先天性心奇形手術後の超長期の予後を予期できる論文は、原理的には、一つもないことになります

ですから、博物学としての医学だけでは、何も分からないのです
わかるはずがないのです
帰納的に推測するための元のデータが、この世に一つもないのですから。

ところが、数理計算は、一から演繹的に、数学的に、物理的に、工学的にものを作り上げて推測していくことができます

もちろん工学が万能ではありません

力学体系を作り上げる時のモデルには、些末な要素は、おざっぱに捨て去っています
ですから、棄却してしまった要素が、大事であった場合には、演繹的な計算もまた、的外れにならざるを得ません

大事な要素を選定し、工学モデルとして推測していくためには、医学の博物学的な知識も、やっぱり必要なのです

医学から博物学の知識を得て帰納的に物事を考え、工学で、一から数理的、物理的に考えていけば、原則的には、何でもできることになります

宮城県でだけは、医工学研究科で、この研究を進めることができるわけです

宮城県臨床工学技士会に、幸多かれ! と、念じる所以であるわけです

(宮城県臨床工学技士会記念誌)