2012年5月24日木曜日

日本生体医工学会 反原発運動への疑念


児玉龍彦先生に反論してみました。

 2012年5月12日福岡国際会議場で、第51回の日本生体医工学会の大会が、行われ、特別講演に東京大学の児玉龍彦先生が招聘されました。大盛況でした。 およそ学会の講演では、ちょっと聞いたことがないほどの迫力のある話しぶりに、会場全体が圧倒された感があります。講演の頭に、奥様に自分の肝臓を移植されたお話で、掴みも抜群。だいぶ情熱のある先生のように思えました。
 スパコンを使って、創薬設計をする話と、東日本震災の福島原発事故を受けての南相馬の放射能除染のお話をされています。 児玉先生は、震災直後から南相馬の小学校などで放射能の測定と除染活動を行っている。それ自体はたいへん見上げた活動かもしれないが、南相馬の現場の人間にとっては、この活動はどうだろうか?
 特にご講演では、チェルノブイリでは事故後数十年たってから、初めて、小児に甲状腺がんや悪性腫瘍が増えた可能性が判明したことなどや、遺伝子レベルでは傷がある可能性があること。などをお話ししておられた。
 しかしながら、現段階では、医学的データとして、南相馬や福島のレベルで、がんが増える明確なエビデンスはまだなさそうでもある。
 実は、東北大学の第1内科のデータでは、今回の震災の救急車出動回数などでは、従来の震災と比較して心筋梗塞や脳梗塞などの心血管イベントが増え たデータがあり、我々のデータでも、震災の避難所では、10~20%の症例で静脈血栓の存在が指摘されている。宮城県立循環器呼吸器センターが診療支援を 行った避難所では27%の対象に静脈血栓という結果もある。
 つまり、現状では、たとえば南相馬から避難する場合でも、逃げた先の方で、生活環境が整わなければ、避難したばっかりに住民が心筋梗塞で倒れるという事態が起こり得るのである。
 歴史上類を見ないといわれる大規模な、あのような非常事態において、避難先の生活環境を緊急で整えることが可能であったとは、私には思われない。
 と、いうことは、 南相馬でがんになったかどうかも分からないのに、避難先では、心血管イベントを増やす確実なデータだけがあるということになる。
 せっかく避難したのに、(ホントに必要だったのかも含め)心筋梗塞になっているようでは、避難した方が悪かったことになる。

 そう思ったので、手を挙げて、ささやかに最初の質問を行ってみた。
 東北大のデータでは震災後、心血管イベントが増え、うちの関連病院のデータでも避難所の静脈血栓が増えており、今後、避難先の心血管イベント発生率を調べて、避難しなかった場合のがんの発生率と比較する必要はないのか?など、いくつか質問させていただいた。
 いやあ、さすがに弁が立つ児玉先生。
 すぐに、それは問題の立て方が間違っている。 原発に絶対に事故がないと言っていたこと自体が問題で、まず事故があった時の対策をはじめから立て て置き、そのうえで、避難先の環境をはじめ方作っておき、それを東電の責任で全面的にやっておくべきだったのでしょう。と、主張された。
 山家先生のように大学でデータを調べるのじゃなく、(名前を憶えていただいて反論されたのにはびっくりしたが、ちょっと筋が違う非難を、公衆の面 で面罵されたようにも感じた)現場に行って南相馬の人を見てください。と、言われたので、議論が弱い私は、目が点になってしまって、頭が悪い私はしどろも どろになってしまった。
 ううん、こういう場面で頭が悪いのは首がないのといっしょやあ・・・
 いやあ、東大の先生に、仙台の人間が現場のことを言われるとは思わなかった。
 これは、ちょっとあんまりでしょう・・・
 実は大会場の中で、二人で大激論になってしまった感じがあって、座長の先生に「聞き惚れてしまいまして・・・もう少し聞いていたいのですが、会場 のお時間があって・・・」と、苦笑しながらのストップが、かかってしまったので、その後、会場で少しだけお話をさせていただいた。
 有名な先生なので、私の後ろに学会の会長さんから、日医総研の副所長さんから名刺を持って列をなして並んでおられたので、さすがの私も遠慮しないわけにも行かず、ちょこっとお話ししただけでしたが・・・
児玉先生の方から 「名前を挙げて声を荒げてしまってすみません」と、おっしゃられていたので、 「いえ、親父の実家が南相馬の医院を閉めてしまったので、南相馬から逃げるべきだったのかどうかには、思い入れがあるんです」と、個人の事情をお話しした。 「原町は除染が進んだので、もうもどれるのではないでしょうか?」との由。  うちのおじさんは、避難先で少し具合が悪くなってしまったので、もう今更戻れるといわれても困りますが・・・
 まあ、頭が悪く、口が下手で、議論が弱い私が、日本を代表する頭脳である児玉先生に質問しても、あまり議論にならず、どちらかといえば鎧袖一触された感もあるが、いくつか教えていただけたように思えます。
 少なくとも、児玉先生に関しては、反原発運動家の市民団体のようにイデオロギーで凝り固まっているわけでは、なさそうななことは良く分かった。
 しかし・・・である。
 いくら良い先生でも、あの時点で南相馬へ行って、ガイガーカウンターを持って全住民に「逃げろ逃げろ」と叫んで回ったことは正しい行動であったのだろうか?
 東北大のデータでは、避難所の悲惨な環境での、心筋梗塞や脳卒中などの心血管にベントの多発を伝えている。
 結果からものをいうのは、卑怯な物言いになるかもしれないが、過剰な風評被害が、東北地方への物資を止め、農産物を止め、現在でも瓦礫の処理が進んでいないことは特筆されてよい。
 結局、福島の10~100倍の放射能がまき散らされたというチェルノブイリでも、がんの発症は有意でないという報告が多い。一番は、強制移住による精神的ストレスなどによる自殺、アルコール依存など生活習慣の悪化による疾病発症である。 結局、福島でも避難先で同じことが起こっていることになる。

ポーランドのアウシュビッツには2本の線路が残っている。
強制収容所に送られたユダヤ人は、二種に選別された。 労働に耐えないとみなされた、子供、老人、障碍者はまっすぐガス室へ。 労働に耐えられるとみなされたユダヤ人は、強制労働の後、ガス室へ
反原発活動家は、この時とばかり、喜び勇んで福島へ観光に来て、頼みもしないのに、住民の服にガイガーカウンターを押し当てては「たいへんだ、たい へんだ、逃げる、逃げろ」と大騒ぎし、福島県民を憐みの目で見ては、津波被災地を物見遊山で観光して、心から優越感を堪能して帰って行った。
反原発運動家の行っていることは、アウシュビッツでユダヤを選別するドイツ人と同じ行動であるといえる。 いくらカウント数が高かろうが低かろうが、避難先の環境が確保されなければ、逃げた先が、避難民にとっては、ナチスのガス室と同じ環境である場合も大いにあり得るからである。
反原発運動家は、今日も、次々に福島県民に迷惑をかけ続けている。
更新日時:2012/05/24 17:21:55

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