向こうで翻訳してくれました
私がチェコ語をしゃべれるわけではないです
1991年9月16日月曜日
1985年5月22日水曜日
外来3
甲状腺機能亢進症
甲状腺の疾患では、心房細動や発作性の上室頻拍などの頻脈発作をきたすだけでなく、高次脳神経機能に関する性格のほうのシフトが起こることも多いようです。
患者さんが、じっと座っていられなかったのは、躁鬱や、認知症などではなく、甲状腺ホルモンの過剰の影響だったようで、内分泌科のある市立病院を紹介。なんとか、手術もなしで安定し、無事に外来通院に戻りました
治ってみれば、不整脈の発作も完全になくなり、穏やかな患者さんの性格なので、娘さんの看護師さんもほっとしているようです。ただ、実は治ってみ ればおおらかな患者さんなので、すっかり肥ってしまったようです。甲状腺機能は外来ではすっかり正常を維持しており、心機能/腎機能とも正常、むくみでは なさそうです。心電図も、現在はすっかり洞調律に復帰しました。甲状腺の薬も減らせそうです。不整脈の薬も減らせ、抗凝固も減らせるかもしれません。
外来診療では、手術のように、「やったあ!うまくいったぜ!」と言うような、大きな達成感がえられることは、そうそうは、ありませんが、たまに は、こういう感じで、「よっしゃあ!」と言う感じの満足感が、スパイク状に、秘かに盛り上がる瞬間もあります。医者の勝手な自己満足と言われればその通り ですが・・・
うまくいけば、患者さんも満足、ご家族も満足、薬も減らせるので、医療費も減らせることもあります。そして、内緒ですけど、医者や看護師さんなど医療側も、実は、その瞬間だけは、秘かにスパイク状に心の中では喜びが盛り上がっていますが、まあ、黙ってニコニコ笑っていることにしています。
何でもいいから笑いなさい!
山家智之
患者さんが、じっと座っていられなかったのは、躁鬱や、認知症などではなく、甲状腺ホルモンの過剰の影響だったようで、内分泌科のある市立病院を紹介。なんとか、手術もなしで安定し、無事に外来通院に戻りました
治ってみれば、不整脈の発作も完全になくなり、穏やかな患者さんの性格なので、娘さんの看護師さんもほっとしているようです。ただ、実は治ってみ ればおおらかな患者さんなので、すっかり肥ってしまったようです。甲状腺機能は外来ではすっかり正常を維持しており、心機能/腎機能とも正常、むくみでは なさそうです。心電図も、現在はすっかり洞調律に復帰しました。甲状腺の薬も減らせそうです。不整脈の薬も減らせ、抗凝固も減らせるかもしれません。
外来診療では、手術のように、「やったあ!うまくいったぜ!」と言うような、大きな達成感がえられることは、そうそうは、ありませんが、たまに は、こういう感じで、「よっしゃあ!」と言う感じの満足感が、スパイク状に、秘かに盛り上がる瞬間もあります。医者の勝手な自己満足と言われればその通り ですが・・・
うまくいけば、患者さんも満足、ご家族も満足、薬も減らせるので、医療費も減らせることもあります。そして、内緒ですけど、医者や看護師さんなど医療側も、実は、その瞬間だけは、秘かにスパイク状に心の中では喜びが盛り上がっていますが、まあ、黙ってニコニコ笑っていることにしています。
何でもいいから笑いなさい!
山家智之
1985年5月21日火曜日
外来2
さもない外来担当医の、かすかな喜び
大学にいると、頼まれ外来の依頼が結構あるものです。どの病院も常勤医の不足感は否めません。土日は一応、外来はお休みの国公立系の
大学病院に対し、土曜日は外来を開いてる私立病院などでは、医師の派遣を大学に土曜日にお願いすることは、比較的よくあることです。まあこれは日本のどこ
の地方でもだいたい同じだと思います。うちでも昔は、土曜は外勤とほとんど決まっていました。そんな、ちょっと昔の話ですが。
「あ、先生、次の患者さん、外来のXXさんのお母さんです」
「え?・・・^^;)・・・そ、そう・・・」
患者さんは全部平等に診なければならないわけですが、さすがに、いつも外来で一緒に診察しながら世話になっている看護師さんのお母さんとなれば、 ちょっとは気を使う・・・と言う側面は否めません。なにしろ、医者を見る目に関しては、世界で一番厳しい目で見る職種の一つが看護師さんであると言えるこ とには、ほとんど反対の意見はないのではないでしょうか? でも、看護師さんが、わざわざお母さんと連れてきてくれるのは、それだけ頼りにされているのか な?と、ちょっとだけ嬉しかったりもしますが、その分もちろんやや慎重にもなります?
粗相のないように・・・と、ちょっと緊張していると、
とっとっと・・・と、速足で駆け込むように診察室に入り込んでくる小柄なおばあさん。
えっ?・・・と、思っていると、後ろから追いかけるように、いつも外来で一緒に診察している看護師さんが私服で入ってきます。
まあ、車いすの患者さん、杖の患者さん、いろいろいらっしゃりますが、駆け込んでくるような患者さんは、小児科でもないのにちょっと珍しいかも?
いつもの外来看護師さん。今日は非番かな?
「先生、うちの母なんですが、前からここの病院で、不整脈で診てもらってたんですが・・・」
「はい・・・」
「この間からず~っと心房細動みたいで・・・」
パラパラとカルテをめくると、確かに何回か発作性の心房細動になっているが、少し前から、慢性の心房細動で固定してしまったらしく、リスモダンに、バイアス、ペルジピンと、一応、当時の標準の抗凝固も行っているみたい。(いまならもちろんワーファリンですね)
「いつくらいから、ドキドキしましたかなあ・・・」
ゆっくりゆっくり、聞いてみる。
ところが、 「うん、うん」 と、目をそちこちにキョトキョトさせ、そもそも、こっちを見てくれず、なんか、僕の話を聞いてくれてないみたいな・・・と、いうか、ギシギシ身体を揺らして、なんともかんとも落ち着かない風情。ううん、ディメンツかしら?・・・看護師さんのお母さん・・・困ったなあ
「ほら、おかあさん」 看護師さんも困った風。
今日の担当の看護師さんも不安そうに僕を見る。いつもの外来看護師さんも、お母さんを心配そう・・・ううん、こういう時は、
「う~ん、まず、診察してみましょうか?」 と、話しかける間にも、もう患者さんは席を立とうとする様子で、落ち着かない。 ううん、ここまでじっとできないのは、さすがにプシコかなあ・・・躁鬱病の可能性は確かに高そう・・・精神科は専門じゃないんだけど・・・と、ここまで考えて。
あ!・・・と、気がつきました。
・・・・・わかった方もいましたよね、答えはこちら
「あ、先生、次の患者さん、外来のXXさんのお母さんです」
「え?・・・^^;)・・・そ、そう・・・」
患者さんは全部平等に診なければならないわけですが、さすがに、いつも外来で一緒に診察しながら世話になっている看護師さんのお母さんとなれば、 ちょっとは気を使う・・・と言う側面は否めません。なにしろ、医者を見る目に関しては、世界で一番厳しい目で見る職種の一つが看護師さんであると言えるこ とには、ほとんど反対の意見はないのではないでしょうか? でも、看護師さんが、わざわざお母さんと連れてきてくれるのは、それだけ頼りにされているのか な?と、ちょっとだけ嬉しかったりもしますが、その分もちろんやや慎重にもなります?
粗相のないように・・・と、ちょっと緊張していると、
とっとっと・・・と、速足で駆け込むように診察室に入り込んでくる小柄なおばあさん。
えっ?・・・と、思っていると、後ろから追いかけるように、いつも外来で一緒に診察している看護師さんが私服で入ってきます。
まあ、車いすの患者さん、杖の患者さん、いろいろいらっしゃりますが、駆け込んでくるような患者さんは、小児科でもないのにちょっと珍しいかも?
いつもの外来看護師さん。今日は非番かな?
「先生、うちの母なんですが、前からここの病院で、不整脈で診てもらってたんですが・・・」
「はい・・・」
「この間からず~っと心房細動みたいで・・・」
パラパラとカルテをめくると、確かに何回か発作性の心房細動になっているが、少し前から、慢性の心房細動で固定してしまったらしく、リスモダンに、バイアス、ペルジピンと、一応、当時の標準の抗凝固も行っているみたい。(いまならもちろんワーファリンですね)
「いつくらいから、ドキドキしましたかなあ・・・」
ゆっくりゆっくり、聞いてみる。
ところが、 「うん、うん」 と、目をそちこちにキョトキョトさせ、そもそも、こっちを見てくれず、なんか、僕の話を聞いてくれてないみたいな・・・と、いうか、ギシギシ身体を揺らして、なんともかんとも落ち着かない風情。ううん、ディメンツかしら?・・・看護師さんのお母さん・・・困ったなあ
「ほら、おかあさん」 看護師さんも困った風。
今日の担当の看護師さんも不安そうに僕を見る。いつもの外来看護師さんも、お母さんを心配そう・・・ううん、こういう時は、
「う~ん、まず、診察してみましょうか?」 と、話しかける間にも、もう患者さんは席を立とうとする様子で、落ち着かない。 ううん、ここまでじっとできないのは、さすがにプシコかなあ・・・躁鬱病の可能性は確かに高そう・・・精神科は専門じゃないんだけど・・・と、ここまで考えて。
あ!・・・と、気がつきました。
・・・・・わかった方もいましたよね、答えはこちら
1985年5月20日月曜日
外来
もっと外来上手くなりたいな。
「もっと手術が上手くなりたい!」
「カテーテル検査が上手くなりたい!」
「内視鏡の達人と呼ばれたい!」と言うような欲求と、良きモチベーションを持つノイヘレン(新入医局員)は、東北大では、割と昔から多かったような気がし
ます。勉強して医師国家試験を通り、意欲満々で研修病院へ出た初期研修医には、正しい方向性のモチベーションを持って頑張ってもらいたいと思います。た
だ、不思議なことに、「外来の達人になりたい!」と言う、大望は、残念ながら、医学部の学生さんからは、あまり聞いたことがないような気がします。
外来の診療部門は、どの病院でもどの科でも、入り口となりえる大事な大事な存在です。病気のある患者さんが外来から入院、治療、ある場合は手術を 受け、治療が終わればまた外来へ戻るか、ご紹介いただいた開業医の先生などへ戻ります。ですから、外来の部門は、ある意味では、医療の、アルファでありオ メガです。
さて、そもそも困ったことがないと、患者さんは病院みたいな汚い所へは行きたくない。というのは、ある面では正しいかもしれません。汚い所を言う のは、外見だけでなく、新規の感染症などが発生しているときには、えてして病院が感染源になる事態も考えられるわけです。基本的に病院は普通の建物よりは 滅菌消毒には気を使っているわけですが、感染症を持った患者さんも外来を通られるわけですから、ベーシックには感染症の発生の危険は常にゼロにはなりえま せん。それだけのリスクを持っても(意識するにせよ、知らないにせよ?)困ったことを解決してほしい患者さんだけが、病院の門をくぐるわけです。
再来の患者さんの場合は、ある程度は、診断名が決まっているので、およそ薬の処方だけで済む場合もありますが、診察を希望される場合には、何らか の困った事態が発生している場合があり、見逃さないようにしなくてはならないこともあります。ルーチンに陥ることなく、患者さんにとって最適なパフォーマ ンスを常に維持したいと思います。
初診の場合、患者さんが、診察室に入ってくるときから勝負は始まります。(勝ち負けの問題ではないですが・・・)車椅子の方も、杖をついてくる方も、パーキンソンっぽい歩き方の患者さんもいます。扉を開けて、最初の1,2歩で、診断をつけることができる場合もあり得るわけです。医学的に確実で見逃しのないシークエンスで、問題解決へ直結させたいと思います。
医学的に完璧を求めるだけでなく、患者さんの肉体的・精神的、そして社会的・経済的・環境的な状況を鑑みて、WHOの言う、健康の定義に則るシ チュエーションを具現化させてさしあげなくてはなりません。検査や必要な患者様だからと言って、経済状態が許さない場合も、特に地方病院などではよくあり ます。また、同時に、病院側・病院の医療従事者にとっても優れたパフォーマンスを維持しなくてはなりません。医学的に正しいからと、持ち出しにばかりな り、経営として成り立たないと、サステイナビリティに欠けるので、最終的には医療組織が消滅して、患者さんだけでなく地域全体が不幸になる場合もままあり ます。
岩手県では多くの県立病院が閉鎖になりました。政治の貧困が地方の生活を直撃しているわけで、為政者は厳しく問われなくてはなりませんし、地域に 県立病院を維持する財政を持たせない税制の大問題もあります。東北地方のような田舎では、病院の閉鎖は、地域社会の消滅を意味することすらあります。他に 大きな産業がないのですから。そして、サステイナビリティに欠ける医療制度が放置された結果として、無医村に近い状態になる地方も、これからはどんどん増えるでしょう。そう、田舎にいると、病気をしたら死ぬしかない。という時代がくるかもしれません。
正直、どの病院の外来で診療を担当していても、欲しいのは診療の時間です。患者さんから、丁寧にお話を聞けば、最低限、ある程度時間が必要です。 特に東北地方の方は(他の地方の病院で外来をしたことがないので、他の地域柄は良く知りませんが・・・)患者さんが遠慮深いのか、・・・「お変わりないで すか?」と、話を聴くと「う~ん、変わりはないんだけっとも・・・」と、(じゃあ、変わりあるじゃないですか?・・・^^)、・・・「何でも良いですよ お・・・」と。促すと、ようやく「そう言えば、ちょっとドキドキすっけっとも・・・、前からだから~・・・たいしたことないです」などなど。 まず、患者さんの話を快く聞き出す方向へ持って行くのに、こちらが心を開いて、いつもニコニコ、決して急がせず、ゆっくりお話を聞いていかなければなり ません。達人への道はなかなか険しいと感じる時もあります。困ったことに、今の日本の医療の現状では、一人当たりを丁寧にみれば、当然、単位時間当たりで 診られる人数が減るので、病院全体の経営に直結してしまいます。今のシステムでは、外来で1人診ようと100人診ようと、医者の給料はおんなじですから、 当然、病院経営の面だけなら、同じ給料でたくさん患者さんを診させた方がベターということになります。あまり時間をかけていると、だんだん、周りの看護師 さんや、待合室の次の患者さんの眼が険しくなるのを感じる時もあります。仕事は進めなければならず、でも、パフォーマンスは下げられません
もっともっと外来の達人になってみたい。患者さんにとって最適なパフォーマンス、病院にとってサステイナブルな、病院職員にとっても最適な外来診 療の具現化を!と、私も思いますが、こういう志を医学部の学生さんたちにも持っていただくためにも、一人一人を丁寧に診ても病院の存続が可能になるような 医療費の体系が必要だと感じます。
さあ!勝負!
外来の診療部門は、どの病院でもどの科でも、入り口となりえる大事な大事な存在です。病気のある患者さんが外来から入院、治療、ある場合は手術を 受け、治療が終わればまた外来へ戻るか、ご紹介いただいた開業医の先生などへ戻ります。ですから、外来の部門は、ある意味では、医療の、アルファでありオ メガです。
さて、そもそも困ったことがないと、患者さんは病院みたいな汚い所へは行きたくない。というのは、ある面では正しいかもしれません。汚い所を言う のは、外見だけでなく、新規の感染症などが発生しているときには、えてして病院が感染源になる事態も考えられるわけです。基本的に病院は普通の建物よりは 滅菌消毒には気を使っているわけですが、感染症を持った患者さんも外来を通られるわけですから、ベーシックには感染症の発生の危険は常にゼロにはなりえま せん。それだけのリスクを持っても(意識するにせよ、知らないにせよ?)困ったことを解決してほしい患者さんだけが、病院の門をくぐるわけです。
再来の患者さんの場合は、ある程度は、診断名が決まっているので、およそ薬の処方だけで済む場合もありますが、診察を希望される場合には、何らか の困った事態が発生している場合があり、見逃さないようにしなくてはならないこともあります。ルーチンに陥ることなく、患者さんにとって最適なパフォーマ ンスを常に維持したいと思います。
初診の場合、患者さんが、診察室に入ってくるときから勝負は始まります。(勝ち負けの問題ではないですが・・・)車椅子の方も、杖をついてくる方も、パーキンソンっぽい歩き方の患者さんもいます。扉を開けて、最初の1,2歩で、診断をつけることができる場合もあり得るわけです。医学的に確実で見逃しのないシークエンスで、問題解決へ直結させたいと思います。
医学的に完璧を求めるだけでなく、患者さんの肉体的・精神的、そして社会的・経済的・環境的な状況を鑑みて、WHOの言う、健康の定義に則るシ チュエーションを具現化させてさしあげなくてはなりません。検査や必要な患者様だからと言って、経済状態が許さない場合も、特に地方病院などではよくあり ます。また、同時に、病院側・病院の医療従事者にとっても優れたパフォーマンスを維持しなくてはなりません。医学的に正しいからと、持ち出しにばかりな り、経営として成り立たないと、サステイナビリティに欠けるので、最終的には医療組織が消滅して、患者さんだけでなく地域全体が不幸になる場合もままあり ます。
岩手県では多くの県立病院が閉鎖になりました。政治の貧困が地方の生活を直撃しているわけで、為政者は厳しく問われなくてはなりませんし、地域に 県立病院を維持する財政を持たせない税制の大問題もあります。東北地方のような田舎では、病院の閉鎖は、地域社会の消滅を意味することすらあります。他に 大きな産業がないのですから。そして、サステイナビリティに欠ける医療制度が放置された結果として、無医村に近い状態になる地方も、これからはどんどん増えるでしょう。そう、田舎にいると、病気をしたら死ぬしかない。という時代がくるかもしれません。
正直、どの病院の外来で診療を担当していても、欲しいのは診療の時間です。患者さんから、丁寧にお話を聞けば、最低限、ある程度時間が必要です。 特に東北地方の方は(他の地方の病院で外来をしたことがないので、他の地域柄は良く知りませんが・・・)患者さんが遠慮深いのか、・・・「お変わりないで すか?」と、話を聴くと「う~ん、変わりはないんだけっとも・・・」と、(じゃあ、変わりあるじゃないですか?・・・^^)、・・・「何でも良いですよ お・・・」と。促すと、ようやく「そう言えば、ちょっとドキドキすっけっとも・・・、前からだから~・・・たいしたことないです」などなど。 まず、患者さんの話を快く聞き出す方向へ持って行くのに、こちらが心を開いて、いつもニコニコ、決して急がせず、ゆっくりお話を聞いていかなければなり ません。達人への道はなかなか険しいと感じる時もあります。困ったことに、今の日本の医療の現状では、一人当たりを丁寧にみれば、当然、単位時間当たりで 診られる人数が減るので、病院全体の経営に直結してしまいます。今のシステムでは、外来で1人診ようと100人診ようと、医者の給料はおんなじですから、 当然、病院経営の面だけなら、同じ給料でたくさん患者さんを診させた方がベターということになります。あまり時間をかけていると、だんだん、周りの看護師 さんや、待合室の次の患者さんの眼が険しくなるのを感じる時もあります。仕事は進めなければならず、でも、パフォーマンスは下げられません
もっともっと外来の達人になってみたい。患者さんにとって最適なパフォーマンス、病院にとってサステイナブルな、病院職員にとっても最適な外来診 療の具現化を!と、私も思いますが、こういう志を医学部の学生さんたちにも持っていただくためにも、一人一人を丁寧に診ても病院の存続が可能になるような 医療費の体系が必要だと感じます。
さあ!勝負!
1984年7月31日火曜日
失敗から
やっと大学生になった~!・・・
親を泣かせて、余計な一年、駿台の臭い飯を食い (・・・いや、まあ、食堂は、ふつ~に、美味しかったすけど・・・) 、何しろ共通一次の一期生で、・・・何が起こるのかわからない!と、予備校の先生にまで言われ、危ぶまれた 「前例のない入試」 を、潜り抜け、どっぷり暗い浪人生から、晴れて、憧れの、明るい大学生活へ。医学部基礎棟の、教務室に手続きに・・・・いや、その日、雨で空は真っ暗でしたけど・・・寒かった。
教務であれこれ入学手続きの後、振り返って、ふと見上げると、向こうの方の、二階建ての汚い木造の建物が・・・ううん、国立はボロッちいから、こんなもんか?・・・・んでも、いろんな、運動部の立て看板が、賑やかに夜の市場のように並び立って、・・・見るからに、楽しげな雰囲気が、ジワジワと、大気中に、滲み出しているように見えました。
そう言えば、俺、一高では水泳部だったっけ・・・確か、医学部の赤石先輩が、よく、合宿所に、「たこ焼き」とか、差し入れしてくれていたなあ・・・ごみごみした階段をタテ看など避けるように二階へ上がる。
入口に「水泳部」って書いてある・・・扉は開けっ放し・・・、
しかし、この建物、なんか、汚いおっちゃんたちがうろうろしていてちょっと怖いかなあ・・・
そっと、片目で部屋を覗いてみる・・・
と、
いきなり
「お! 来たなあ?」
あれ?
ちょっと、覗いただけなのに、なんと、その時、ちょうど偶然、
窓辺に座り込んで、碁を打っている、その赤石先生と、ばっちり、目が合ってしまいました。
赤石先生も一高の水泳部のメンバーは覚えてくれていたらしく、
そのまま
「いいから、まあまあ、まず部屋に入れ入れ・・・・」と、連れ込まれてしまう
「いいからまずまずノメノメ」
「あの。・・・僕、まだ、いちお~未成年です」
「大学に入ったら、呑んでいいって決まってるの!」
「まだ大学生になるのは来月です」
「いいのいいの、ここではそう決まってるから」
何が? 良いのか? さっぱりわからない
良い子の皆さんは、ぜったい昔の真似をしないでくださいね。
いまは
「アルハラ禁止、未成年飲酒は禁止! 」です
「とにかく、いいから、入れ入れ、いやあ・・・リレー組めなくなるところだった。」
と、当時の佐々木こさぶろうキャプテン
「おまえ、一高で、水泳部にいたんなら、一応、四種目泳げるだろ?」
「え?…何の話ですか?」
「いや、
・・・バックとバタが、学4でSGTなんで、練習できないんだよ、いやあ、今年、メドレーリレー出られないかと思った」
「んでも、僕、一応フリーなんすけど・・・」
「水泳部なら四種目泳げるだろ」
「はあ」
「じゃ、今年は、まだ井樋さんが(現整形外科教授)がんばってくれるから
おまえはバックね・・・」
「え? 僕バックの試合、出たことありません・・・・」
たしかに、昭和54年当時の水泳部では、リレーが組めるかどうか、より、存続自体が危ぶまれるような状態でした。・・・確か、学4が5人でSGTですが、ほとんど引退、学3が二人、学2が1人に、学一3人、教養二年が2人っきりで、合計しても8人、幽霊部員の先輩もいたりして、今年、誰も入ってこなかったら、フリーのリレーはともかく、メドレーリレーは、専門の選手が足りなくて出られない状態だと先輩に言われました
こ・こ・こ・・・これでは、このまんまじゃ、今後、水泳部で何をやらされるかわからない・・・と、ミルコンでたまたま隣に座った村上君、向かいに座った高橋君、無理やり誘って水泳部へ・・・結局、その年、七人の新入生を迎え、実質、なんと、部員数が倍増することになったわけです。
練習も、結構、なかなかに、スチャラカでした
「一高ではどんな練習してた?」
「え? ふつうに練習していましたが・・・」
「うん、実は、高校で水泳部だったの、ここではお前一人だ。」
「え?」
「ちょっと練習メニュー考えてみて・・・合計一日一万泳げばいいから」
「そんな、距離だけ決まってるんですか~無茶です。・・・僕まだ入って一か月目ナンスけど・・・・」
ところがこの佐々木コサブロウキャプテン。
実は、フリーのベストタイムがほとんど私と同じ
ダッシュでもスプリントでも、
後輩に負けるかあ!
と、猛烈な勢いで後半巻き上げるので、私も、ものすごく練習になり、
昭和54年は、東医大男子総合3位を果たすことができたことになりました
当時としては歴代最高でした
「まさか、東北大が、三位に入る日が来るとは?・・・」と、先輩に驚かれたものです

時は流れて三年後。
「や・・・山家さ~ん! ・・・てえへんだ! てえへんだ! てえへんだ」
と、
一高水泳部から来てくれた1年後輩の中道君
「え?・・・なになに、医者はまず、落ち着かないとだめだよ」
と、一応先輩ぶる私
(・・・まだ、医者じゃないけど)
「んだって山家さん・・・東北大、二ケ(200リレー)、一位で決勝に残ってる!
トップですよ! トップ!
・・・こんなの、水泳部、歴史始まって以来、絶対、初めてですよ!
「・・・え“」
(・・・は、「え」に点々・・・こんな字は日本語には、ありません・・・ですが、この時は、ホントにこんな気分でした)
「・・・・そりゃあ、ホントにたいへんだ」。
「それで山家さん」
「・・・ん?」
「800の決勝! 辞退してください! リレーの直前じゃないですか、ベストでませんよ、慈恵・東京医大・福島・うちが、0.1秒以内に並んで決勝に進んでるんです・・・先輩が、ベスト出せば絶対優勝です」
「な、・・・なんだとお?」
「だって先輩、800で勝っても三位で5点しか入りませんよ。二継で勝てば、リレーの点数は倍だから、14点です。総合で二位か三位だって見えてきますよ!」
・・・・おれ、自分で決勝残って、自分で辞退するの?・・・・ううむむむむ・・・・。
いや、正直困りました
棄権で決勝サボりますって、その俺が、目の前に座っているじゃないですか・・・
その時は、折り悪く、よりによって仙台での東医体主管。
なので、審判は、宮城水連の先生方・・・って、二高水泳部の先輩とか、審判が、一高以来の顔見知りで、顔を知っている先輩方の中で・・・
わたし堂々のサボり・・・っすか?・・・ううん
「キャプテンに聞こう」
「伊藤キャプテン・・・・これこれ云々こういうわけで・・・」
「・・・え“」
(・・・は、「え」に点々…以下略)
「ど、どうしよう・・・山家・・・お前どうすればいいと思う?」
「どうしましょう・・・・」
「先輩に聞いてみるか?」
ちょうど仙台なので、当時のコーチや監督の先生もたくさん来ています
「せんぱ~い!・・・斯く斯く云々で・・・どうしましょう」
「・・・え“」
(・・・は、「え」に点々…以下略)
当時は東京五輪の根性とハードトレーニング(・・・なんだそりゃ)で、重いコンダラひきが、まだまだ流行っていた時代(「巨人の星」のローラー引きのことです)
・・・コーチの先輩も、何も考えずに一言。
「根性あれば何とかなる!・・・気合い入れていけ!」
「ハイ」
・・・何ともなりませんでした・・・
練習量とスタミナだけは自信ありましたが、・・・何しろ800直後の五十ダッシュ・・・短距離なんて馬鹿にしていましたが、・・・さすがに、この時だけは、30m過ぎたところで、いきなり心臓から、前に血液が出ていきません・・・二の腕から上が動かない・・・左のコースから、福島医大が、巻き上げてくるのが、分かる・・・バシッとタイミングぎりぎりで岡田が飛び出す(現呼吸器外科)・・・岡田が一人かわす・・・・最後の石川・・・さらに追いすがる。
バッシャ~・・・
と、本当に、四校同着に見えました。
・・・結果は
・・・慈恵がちょっと前か?
・・・飛沫の大きさで、タッチがよく見えない。
・・・審判が揉めています・・・
着順判定の上、
一位、慈恵医大、二位、東京医大、三位、福島医大・・・そして、四校0.1秒差の中に並んで着順判定で・・・東北大は?・・・・無念の四位。
どう考えても、俺が一番悪い・・・
その年は、東北大は無事、主管を務め、総合5位。
どっぷり暗くなって、ビールを飲む気にもなれないのでした
キャプテンにもコーチにも相談しましたが、やっぱり、自分で800にも出た私自身が一番悪いとしか思えません。
あ“~・・・・、黒歴史だなあ。
余談ですが、
・・・水泳の記録を決めるのは、心肺機能です!
・・・勝手に断言!
(みなさん・・・、チャんと、練習して心肺を鍛えましょう!)
この時の私に、いまの、うちの人工心臓がついていたら、30mから、もう1ダッシュ! できたはずです
(・・・たぶん)
岡田の肺が、途中で取り替えられれば(肺移植!)、更なる、酸素加で、もう一伸びできたはずです。
・・・と、言うような、研究を、加齢研では行っています。
・・・閑話休題でした
反省に、基づいて、
真面目に挑んだ幹部学年での次年度は、総合4位。
ううん、3位ならメダルだったけどなあ・・・残念。
・・・来年はSGTか、・・・
「中道! 後は、がんばって・・・んでも、俺、200だけは得意だから8ケだけは出てやってもいいぞ!」
「アハハ・・・おねがいしまっす」
もう、6年生になれば、半分戦力外のつもりで悠々と出ます
と、
初日が、終わると・・・
「や・・・山家さ~ん! ・・・てえへんだ! てえへんだ! てえへんだ」
「おいおい中道、お前もうキャプテンなんだから、落ち着いて・・・どうした?」
「・・・それが、慈恵がフライングでこけて、東京医大が、さっき泳法違反で沈んで・・・東北大、なんとトップで初日、折り返しています!」
「・・・え“」
(・・・は、「え」に点々…以下略)
「・・・それは、確かにたいへんだ・・・」
あまりと言えば、あまりに、あり得ない事態に、メタメタに盛り上がる東北大応援席
その瞬間! 「ゾーン」に入ったというか
・・・なんと申し上げればいいのか
・・・いったん、優勝が懸かると、メンバー全員、信じられないタイム。
・・・三位はどうか?・・・と思われていた中道。優勝!
今年は無理だろうと思われた石川。優勝!
次々に
みなベストを更新し、800リレーまでには、東北大はダントツ一位を固めていたのでした・・・あとは、フライングで五位以下にでも転げ落ちない限り、四位以内で優勝に決まっています。
「みんな~集まって」
「は~い」
考えてみれば、
この、中道、山家、岡田、石川は、四人とも仙台一高水泳部出身で、
岡田が入学してからの、この三年間。
2ケも、8ケも、下手すりゃメドレーも、同じメンバー
(・・・つまり選手層が薄い!・・・ホントはとても勝てるチームじゃないはず)
選手層が薄い分、3年間同じリレーメンバーで、スタートも引き継ぎも練習を重ね、もう、目をつぶっても、中道が突っ込むタイミングも、岡田が飛び出すタイミングも、自分の身体が、覚えています
「・・・んでも、過去の練習は全部忘れようぜ」
「・・・え?」
「フライングさえしなければ、絶対優勝だから、岡田、俺がタッチするのを、目でしっかり見てから飛び込んで! 石川も」
「ハイ」
それでも、中道が、2位3位を争いながら、突っ込んでくると、ついつい飛び出したくなります。
・・・いや、ここは、確実に。
200は得意なので、一人かわして岡田に・・・
あれ?
・・・・タッチしても、岡田が飛び出さないぞ?
確かに、いつのまにか自分もゾーンに入っているのかも?
・・・リレー中は、ある意味、クロック周波数が上がっているようで、私の指示通り、タッチをしっかりと見守ってから、確実に飛び出した岡田が、いつものタイミングに慣れた目には、スローモーションで飛び出していくようにしか見えないのでした。
後半伸びを見せる岡田、意地で頑張るラストスパートで石川が繋いで
・・・やった、銅メダルだ!
阿鼻叫喚とは、このことか?
今年の皆さんは、「優勝」は、手に届く現実でしょうが、30年前の東北大は、まず優勝戦線など考えられ無いチームでした。
あ~いうのは、東京の私立が勝つもんで、田舎の国立は、水泳やテニスみたいなソフィスティケイトされたスポーツは、勝てないと言われていた時代。
まあ、この時は、ある意味フロックではありましたが・・・
「うゎ~ん」と、
医短の(いまは保健学科ですね)女の子が、全力で泣き出します
「うぇ~ん」と、隣の子たちにも涙が伝染していきます
信じられないビックな喜びが突然降ってくると、人間、赤ちゃんみたいに、泣くしかないのかなあ・・・と、変なことを考えてしまいました
いや~・・・自分が生きている間に、こんな好いことが起こるとはなあ・・・と、ちょっと頭の中をよぎりますが、前キャプテンが涙を見せるわけにはいきません。
8継メンバー4人でプールに飛び込んでごまかしていたのでした。

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