2015年5月7日木曜日


お誕生日メイルをいただいたみなさまありがとうございました。実は、母が昨日他界し、葬儀の準備で、ちょっと錯綜しています。遺品を整理していたら、母の、東北大の学生時代の、学生証の写真が出てきました。
実は、うちの母は、東北大学に、二回通っています

入学した時は、新制の東北大学になった直後で、教養部が三神峯にあった時代で、旧制二高の校舎に通学したそうで
東北大学卒業と同時に、祖父にとっては第2内科の後輩に当たる父と結婚し、父は大学で学位を取得したのち、南相馬の原町の、お兄さんの病院であった「山家病院」、福島市の大原病院を経て、結局、三神峯教養部の目の前で山家内科を開業しました

ま~、町医者なんて言うのは、夫婦共同体の二人三脚みたいなものですから、結局、父は医院の会計に全くタッチすることもなく、保険の請求から、看護婦さんの労務管理まですべて母が仕事していました
が、医院も軌道に何とか乗り、子供たちを育て、末っ子の妹がようやく大学卒業した後、
突然
「やっぱり、私、大学で博士号取りたい!」と、突然言いだして、東北大の農学部の大学院に通い始めました

結局、東北大に、二回通ったことになります
ある日、突然、
母から久しぶりに電話が来たと思ったら、
「博士論文って、サマリー英語なんだって・・・お前、医者になったんだから、私の論文。訳して!」

目が点になりました

私も、その時は、まだ学位を出してようやく欧州人工臓器学会雑誌に掲載され出したくらいだった初めの時で、そんなに英語は慣れてませんでした(ま~今でも下手です)
そもそも、医者の免許と英語は関係ありません
が、
あの世代では、「医者=インテリ=英語?」くらいのインプレッションがあるようです

私もさすがに、「バラ」の論文を英語で書いたことはありませんでしたが、
まあ親孝行だと思って英訳し
母は、なんと、64歳で、東北大学の博士号を取得しました・・・なんつう変わり者の母親?!?

母の口癖が、「最初の女子大学生を入学させたのは東北大学なんだから・??・・・」
子供の時には、よく意味がわかっていませんでした
が、
現在も、東北大学では、女子医学生の方が、草食系男子より勢いが好いですね。

思えば、いまの東北大の女子は、母の後輩かあ。

男の子は、みなマザコンかもしれませんが
学部時代の母の指導教官や、学位の指導教官に恩返しするのに一番好いのは
いまの学生さんにきちんと教えることなのでしょうね。

2013年は、日本で最初の「女子大学生」が東北大学に誕生してから百周年だったそうです
ー 場所: 仙台市
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